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誰が為にカネは成る

ここもと投資ファンドによる日本企業への出資が話題になっている。企業価値向上(株価上昇)を目的として、ある時は友好的に、ある時は敵対的に(最も多いのは「知らない間に」)株式が買われていたりする。単に脅しだけではなく、本当に会社を乗っ取る用意があるだけに、ずっと安定した身分で自分の好きなように会社を経営したい経営者からすると、敵対的ファンドはかつての総会屋以上に都合の悪い株主となる。日本企業が海外の有名企業を買収していくのには感心している人でも、永年日本人の生活に馴染んだビールやラーメンの老舗メーカーが次々にカタカナのファンドに株式を押さえられていくことに何となく義憤を覚えたりする人も多い。まして資金の出し手が外資系だとすると判官びいきの日本人はつい被害妄想を抱いて、彼らを「ハゲタカ」と呼んで悪者扱いしてしまう。「真面目で善良な」中小企業(朝ドラの老舗旅館も含めて)が、「悪質でカネにモノを言わす」外資系ファンドに蹂躙されそうになるといったステレオタイプのTVドラマを何本観ただろうか。かの100年続いた老舗ソースメーカーの買収防止策発動差止め請求を巡って、裁判所が外資系ファンドを「乱用的買収者」と断じたことに溜飲を下した方も多いのではないか。

ここは企業経営を論じるブログではないので、一般に日本社会では「所有」と「占有」の区別が曖昧である一方、近代企業は「所有」と「経営」が分離されていることが建前であること、「企業価値向上」を目的に株式を持たれてしまうということは、その経営者の手腕・能力が、市場の衆目の前で必ずしも満足されるものでは無いことの証左であることのみ指摘するに留めたい。

一方のファンドはというと、彼らは別に日本の老舗企業に恨みがある訳ではない。彼らは、やり方によってはもっと経営が良くなる可能性がある企業を捜し、買うべき時に出来る限りの安い条件で市場を通した正当な手段で買い、企業オーナーとして出来得る限りのテコ入れを行い(その中には自ら経営に乗り出す場合もあれば、優秀な経営者に経営を委託する場合もある)、株主価値を高めた上で、売るべき時にその株式を市場で売却して利益を得る。手段はともあれ、企業を良くしたいという思いは占有的経営者と同じである。彼らも非常に「真面目で善良」、しかも並の企業経営者以上にハードワーカーである。しかもその経済行動は彼らファンドに出資している投資家に報いる為に他ならない。その意味では、もし投資ファンドの行動に問題があるとすれば、むしろ彼らに資金を委ね、少しでも高いリターンを求めて「稼げ、稼げ」と急き立てる強欲な投資家にこそ問題の一端があると言える。現日銀総裁はそのようなファンド投資家の一人だったし、今や多くの名のある企業や経済人が、目的はともあれ様々なファンドの出資者となっている。

資本主義社会の中でセオリー通りの経済活動を行う彼らに、世間一般の人々が不快感を持ち、軽蔑視するとすれば、それはこの資本主義社会の建て付けが、人間本来の姿(つまり聖書的経済観)から乖離しているからに違いない。
「金銭を愛する者は金銭に満足しない。富を愛する者は収益に満足しない。これもまた、むなしい」(伝道者の書5:10) 

では、我々は何の為に働くべきなのか。おカネというのは持っているだけでは価値がない。それを消費し他の財を購入するか、潜在的支出能力、つまり将来の緊急時に備えて支払い余力を持つことにこそ蓄財の意義がある。とにかく贅沢な暮らしを追及したい方でない限り、一般的日本人のおカネへのこだわりは、将来の漠然とした不安への備えの為であると思われる。日本人の高い貯蓄率がそれを物語っている。しかし将来に何が起こるか判らない以上、どれだけおカネを貯め込んでも充分ではない。将来の漠然とした不安が払拭できない限り、いつまでもおカネに対する執着から解放されることはない。聖書はおカネを儲けるために働くことを否定しない。むしろ誠実に勤勉に働くことを奨励している。そこに神の存在を認め、自分の人生と将来を神に委ねることを条件とした上で、である。
「実に神は全ての人間に富と財宝を与え、これを楽しむことを許し、自分の受ける分を受け、自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神の賜物である。こういう人は、自分の生涯のことをくよくよ思わない。神が彼の心を喜びで満たされるからだ」(同5:19-20)

投資ファンドがここまで活躍する前は、銀行が企業価値向上または企業再生の役割を果たしてきた。5年後10年後の日本経済の為に、あるいは見どころがあると判断した不振企業を立ち直らせる為に、ヒトを送り込み、経営に介入し、おカネ(安定株主としての持合い株式とともに、メイン銀行からの借入はエクイティー投資と並ぶくらい劣後的な性質を持っていた)を注入してきた。銀行も行員も現在より遥かに高い社会的評価を受け、その使命に矜持を持っていた。日本経済と銀行が過去に例を見ない最高利益を更新していた時代に「富を愛して収益に満足しない」、オーナーならぬサラリーマン経営者の功名心がそれを摘み取ってしまったのだ。

                              By oveja negra
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by covenanty | 2007-10-10 14:22 | 政治・経済・社会