2007年 06月 24日
人はなぜ悲観的になるのか
教会の紫陽花が見ごろです。
やさしい気持ちにしてくれる花ですね。
さて、本日の礼拝はダビデ伝シリーズ第9弾「私たちを導く神の恵み」でした。
人は、自分だけを見ていると、悲観的になります。
誰が不信仰に陥ろうとも、いつも神様に信頼しているダビデでしたが、
次々と押し寄せる困難とプレッシャーの前に、
いつしか神に祈ることをしなくなっていました。
気がつけば悲観的になっていたダビデ。
神は、わたしたち人間を悲観させるような方ではありません。
神が人間に用意しているのは希望、喜び、平安です。
その神の思いを受け取るには、祈ることが大切です。
祈りは、神との対話です。
ダビデは自問自答の穴に落ち込み、
自分の考えだけですべてを解決しようとしました。
悲観的になっていたダビデの選択の結果はどうだったでしょう。
そこに展開したのは「いつわりの平和」「人をだますような生活」「残虐な行為」。
彼の決断は、自分の家族はもちろん、大勢の部下とその家族をも
巻き込み、ますます窮地に落ち込んでいきます。
しかしついに、1年4ヶ月ぶりに、ダビデは自問自答のアリ地獄に背を向け、
神と対話することを選びました。
神に心を注ぎだして祈り、もう一度奮い立ったのです。
****** 今週の言葉 ******
ダビデは非常に悩んだ。
民がみな、ダビデを石で打ち殺そうと言い出したからである。
しかし、ダビデは彼の神、主によって奮い立った」
第一サムエル記30章6節
礼拝メッセージの視聴&要約はこちらです。
日曜・午前10時半からはインターネット礼拝をライブでお届けしています。
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小石は高校生のときにクリスチャンになりました。
それまではものすご~く悲観的な少女でした(これでも昔は若かった^^;)V
物事は、自分の願うこと考えていることと
反対のほうに回っていくのではないかと思っているような。
でもあるとき、本当に辛くて苦しくておかしくなりそうで、
最後の神頼みでお祈りしてみました。
そうしたら、ダビデと同じことがおこりました。
気弱で後ろ向きな女子高生が、神様の手につかまって奮い立ったところ―
喜びと安らぎが心の底からわいてきました。
あの日のうれしくてうれしくてたまらなかった気持ちを思い出しながら、
今日のお話を聞きました。
by 小石
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by covenanty
| 2007-06-24 21:36
| 教会行事・集会