ラケルの涙

米国バージニア州工科大学で(犯人含む)33人の死者を出した銃乱射事件から3ケ月経った。犠牲者とそのご家族の方々、また直接間接的にこの事件に巻込まれた方々に、神様からの癒しと慰め、特別なお取り扱いがあるように祈る。犯人の青年が犯行前に残したビデオの、何とも形容しがたい、恐ろしい発言を読むと、思わず聖書に出てくる「悪霊に憑かれた」者達を連想してしまう。

f0136828_9483975.jpgRachel’s Tears
© 2000 by Beth Nimmo and Darrel Scott
Thomas Nelson Publishers



実は今から8年前、1999年4月にも米国で同様の事件---高校生2人が学校内で銃を乱射し、教師1人を含む13人が殺害される事件---がコロラド州コロンバイン高校で起きている。当時ニューヨークに駐在していた私は、丁度子供が地元公立小学校に通っていたこともあって連日テレビに釘付けになっていた。その翌年2000年に被害者の女子学生の両親により『レイチェルの涙』(日本語聖書読みすれば「ラケルの涙」)という本が出版された。その本を通して事件の真相を知ると同時に、私自身の信仰について大きなチャレンジを受けた。この本を読んで、何か出来ることをやらなくてはとの思いにかられて、引っ越したばかりのロスアンゼルスの自宅を開放し、ビジネスマンを集めて家庭集会を始めたくらいである。

レイチェル=スコット(当時17歳)は事件発生当時、クラスメートと校庭の芝生に座ってランチを食べていた。彼女は普段から自分のクリスチャンとしての信仰を誰にも明らかにし、校内でも皆に親切にし、福音を伝えることを喜びとしているような女の子だった。
その時、武装したクラスメートの男子生徒2人が学校に乱入し、いきなり銃を乱射し始めた。背中を撃たれて這って逃げようとする彼女の前に廻った1人が彼女の髪を掴んで顔を上げさせ、
「お前は神を信じているのか」と尋ねた。「そうよ。知ってるでしょ」と答えた彼女に、「ならば神のもとへ行け」と言うなり彼女の頭部に発砲したと、傍に居て難を逃れた男子学生が証言している。
後日両親(離婚中)が失意の中で彼女の遺品を整理していると、彼女の日記が何冊も出て来た。驚いたことに彼女の日記は最初から終わりまで、神様に対する賛美、祈り、感謝、告白、訴え…で埋められていた。彼女のディボーションは日記に神様に対する祈りや問いかけを書き綴るスタイルだったらしい。クリスチャンといっても、米国のティーネイジャーである。異性や性に対する興味や誘惑、煙草やアルコールへの関心、自分の信仰や伝道のゆえに離れていくクラスメートのこと、自分の容姿に対するコンプレックス…そういった若者らしい悩み苦しみも含めて、全てストレートに神様に訴え、その御声を聴こうとして毎日を送っていたのだ。預言の賜物が与えられていたらしい彼女は、夢の中で神様の声を聞いて「今年は私の最後の年になるかもしれない」と書き、また親しい友人に話していた。
彼女が熱心なクリスチャンであったことを知ってはいたが、これ程までに神様への深い愛を持ち、豊かな霊的洞察力を与えられていたことに両親は打たれ、悔い改めへと導かれるのである。

両親だけではない。17歳の女の子が持っていた信仰の強さと、それによって引き出された勇気。職場や近所付き合いの中でも、クリスチャンであることを公言せず、人に福音を伝えることを拒み続けていた私はこの17歳の女の子に完全に打ち負かされた。もし自分があの場に居たら、銃口を向けられて同じ質問をされたとしたら、最初に思い浮かぶのは、妻や子供たちのことだろうか、それとも神様のことだろうか。そのような究極の形でこそ無いが、神様はそれ以来私に問われ続けられている。

このような姦淫と罪の時代にあって、私と私のことばを恥じるような者なら、人の子も、父の栄光を帯びて聖なる御使い達と共に来る時には、そのような人のことを恥じます。(マルコ8:38) 

レイチェルのこの信仰は多くの人の知るところとなり、全米の至る所で悔い改めやリバイバルが起された。母親は娘の信仰によって神様の愛に立ち返り、犯人に対して、そしてその親達に対しても(彼らもまたかけがえのない子供を亡くしたのだ)赦しへと導かれた。父親も娘の信仰によって目を覚まされ、再び教会を持つようになった(彼はもともと牧師だったのだが、離婚後教会を離れセールスマンとして生計を立てていた)。更に大胆に世界中に向ってキリストの愛を宣べ伝え、人々に愛と親切を実践する勇気を持とうとチャレンジする人に変えられたのである

                              by oveja negra

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by covenanty | 2007-07-31 09:56 | 本・映画・ドラマ

ウィンブルドン2007

f0136828_23235093.jpg フェデラーが1セットを落とした。それは、彼のサービスゲームがナダルによって、ゲームカウント4-5から破られた瞬間。30-40のポイントをあげたナダルのショットは、しりもちをついた状態で放ったものだった。それが、フェデラーのコートの右ラインぎりぎりを襲った。セットポイント! そこからのパッシングも見事だった。
 この二発を見るまでは、正直、もうフェデラーの五連覇は堅いと思っていた。第一セットはタイブレークの末ではあったが、フェデラーが取っていたし・・・。しかし、この二発で、セットカウント1-1になったのだ。筆者は、このゲームをビデオに撮っておいて見たので、番組欄にあった時間でビデオは切れており、第三セットの3-3ぐらいまでしかわからず、結果は新聞で見た。ひょっとして、ナダルが初優勝・・・と、思わぬでもなかった。それほど、二人は拮抗していた。
 フェデラーがカップにくちづけしている写真は納得できた。しかし、スコアはびっくりだった。第四セットと第五セット!!  2-6でナダルに取らせ、次を6-2で取っている。第三セットがまたタイブレークになっているということは、とにかく、キープしたフェデラーは第四セットをいわば、休んだのか…?  なにせ見てないのでなんとも言えないが、第三、第四を連続キープは無理と判断し、肉を切らせて骨を切った、フェデラーの選択だったのかもしれない。
 優勝インタビューで、フェデラーは、「まだ、やれる。」と言った。年下の進化してくるライバルの前に、君臨できる日々はもうわずかと悟りつつも、彼は王者である。王者は、追う者の足音を聞きつつ、今自分にできることをする。

鉄は鉄によって研がれ、人はその友によって研がれる。   聖書 
 
 フェデラーがいなければ、ナダルはチャンピオンという言い方もできるが、フェデラーがいるからこそ、ここまで芝コートでもうまくなれたとも言える。
 この二人、普段は全く違う所で生活しているが、お互いを意識の外に追いやることはできないのだろうな。-ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー setsu

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by covenanty | 2007-07-27 23:39 | スポーツ

月に一度のファミリーアワー(育児の会)。
7月は夏休みに入ったばかりの土曜日でした。

屋上のプールで水遊びするよ~
という呼びかけに集まった子どもは17人。
きゃぁきゃぁ言いながら、泳いだり、水のかけ合いをしたり、
流れるプールを作ったり大騒ぎでした。

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プールのあとは焼きそばタイム☆//
お父さんお母さん13名が大活躍。
ハイテンションな子どもをまとめる人あり、
焼きそばを焼く人あり、
テーブルセッティングする人あり―
「子育て家庭の食事」という一大事業(?)も
みんなですると早くて楽しいものですね(^^)
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              ごちそうさまでした♪


聖書に基づく育児の学びもしましたょ。

「むちを控えるものはその子を憎むものである。
子を愛するものはつとめてこれを懲らしめる」 箴言13章24節


人間の見方には三つあるそうですが―
①性善説 : 人間はもともとよい性質を持っている by孟子
②白紙説 : 人間は白紙のような状態で生まれ、
         善悪は後天的に与えられる。 byジョン・ロック
③原罪説 : 人間はもともと罪の性質をもって生まれてくる by聖書

子どもはとっても可愛い存在ですが、教えてもいないのに悪いことをします。
その性質を原罪といいます。
子どもの悪い部分をきっていくのが親の大事な務めだと聖書は言っています。

それと同時によく教えられるのが、子どもをしかるなら、
その5倍褒めてあげましょう、ということ。
これがなかなか難しいです。

夏休み―親にとっても忍耐と訓練の時ですね(^^;
                                 by 小石

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by covenanty | 2007-07-26 19:25 | 子育て・家庭

今週の礼拝は、
キリスト教書籍を出版するいのちのことば社から
「月刊 百万人の福音」編集長・根田祥一さんを講師にお迎えしました。

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こちらはいのちのことば社BOOK★FESTAの様子です。
教会の一角にミニ本屋さんがOPENしました^^

文書によって広くキリスト教を伝える働きをされている根田編集長。
ご自身は、高校生のときに素敵だな、と思った
女性がクリスチャンだったため、それを機にキリスト教に
興味を抱くようになりました。
彼女をデートに誘っても、日曜日は礼拝があるといって断られます…
「デートより大切な礼拝ってなんだろう?」
そう思った根田さんは、紀伊国屋書店で
聖書を買って読むようになりました。
クリスチャンからプレゼントされた本もキリストを知るための
助けとなりました。
良い本との出会い、良い本と自分をつないでくれた人との出会い、
それがあったから現在の根田さんがあるといいます。
(ちなみに、その素敵な女性は、今は奥様となっておられるそうです☆//)

礼拝の視聴と要約(恵みの窓)はこちらです。
礼拝メッセージ(約30分)はポッドキャストでもお聞きになれます。

*** 今週の聖書のことば *********

信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。
聞いたことがない方を、どうして信じることができるでしょう。
宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。
                    ローマ人への手紙10章14節
*****************************


小石も高校生のときにクリスチャンになりましたが―
教会の牧師さんが三浦綾子さんの『塩狩峠』を貸してくださったことを
思い出します。
それを涙、涙で読んだ私は父親にもすすめ、結局一家で
回し読みすることになりましたっけ。
教会に行くことをあまり快く思っていなかった父ですが、
私が洗礼を受けるときには
「三浦綾子さんのような立派なクリスチャンになりなさい」
と言ってくれました(^^


午後には「音楽祭」もありました。
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バンド演奏つきの賛美あり、グループの賛美あり、
子どもの振りつき賛美あり、ソロや楽器の賛美あり。
とっても楽しくて元気の出るひと時でした♪
                           by 小石

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by covenanty | 2007-07-23 19:03 | 教会行事・集会

正義についての考察

Ⅳ 正義について
 哲学的な正義論で最も有名なのはプラトンの「国家」やJ・ロールズが書いている「正義論」であろう。学問的には、正義とは、多数決である場合もあるし、法律を形づくっている倫理や道徳である場合や、パレート最適などの場合が多いであろう。
プラトンは「国家」においてまず、人間関係における正義を分析し、それから、国家における正義を分析した。プラトンはイデアというものを規定して、そこから正義論を構築した。哲人王という思想もプラトンから出ている。
また、J・ロールズは、リベラリストであり、その正義論において、最大限の自由と機会均等原理を規定した。ロールズは、ベンサム、JSミルの功利主義を批判し、カントやロックなどの社会契約論を発展させたところで正義を考えた。
ところで、聖書の中では、正義(聖書では「義」という)は、救い主なる神の属性の一つとなっている。義というものは神の一つの性質なのである。そして、聖書では、義を律法による義と信仰による義に分ける。
律法による義は主として旧約聖書に書かれている。昔のイスラエル国家は、旧約聖書に出てくる律法によって、その国家的秩序や、人間関係を保ってきた。そして、その律法主義が形骸化して、人々の生活を苦しめるようになった。
そのような時に出てきたのが、イエスキリストによる信仰による義である。信仰による義は新約聖書に主に書かれている。イエスキリストの十字架による義なのである。この場合は、罪を悔い改めて、イエスキリストの救いを信じるとそこに義が与えられるのである。この二つの義の違いが、ユダヤ教とキリスト教との違いになるといってもいいかもしれない。
神の義は完全なもので人間が到達できない義である。誰一人として神の義を行いによって到達させることはできない。イエスキリストの十字架の犠牲のみが、私たちを神の義へと導いてくださるのである。
 神による義は第一に、私たちの必要を満たす。そして第二に私たちを罪から解放する。第三にすべての人間にとって、公平、公正な裁きをする。まだまだいろいろな性質があるとは思うが、さらに聖書を読んで研究していきたい。

「だから神の国と神の義をまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのもの(食べるものや着るもの)はすべて与えられます。」マタイ6:33 やはり神の義は学問的な義よりもレベルが高いと思う。そして神の義こそ、真に世界を統治できる正義の概念である。 
参考資料 ウィキペディアフリー百科事典                 ダン吉
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by covenanty | 2007-07-20 13:16

人生の中心は誰?

もし、自分が長い間いやなことに耐え抜いて、
ついに権力を握ることができたとしたら、
まずなにをするだろう?

お金をたくさん使って享楽におぼれてみる?
自分をいじめた人に報復してお気に入りの側近で周りを固めてみる?
それともびっくりしすぎてなにをしたらいいか分からない?

礼拝のお話は「ダビデの関心」でした。

6年間の臣下時代と7年間の逃亡生活を耐え抜いて王となったダビデ。
彼は王座に座って

世界の中心で「私の王国!」と叫ぶ 

・・・ことはしませんでした。

ダビデには分かっていました。
自分が王となったのは、決して自分の力量ゆえでも人気のゆえでもないことを。
ましてや、王国が自分の所有物ではないことを。

ダビデの一番の関心。
それは、人生の中心に神にいていただくこと、
王国の中心に神にいていただくこと、でした。

「人生の中心はあなたではありません」

と言われたら驚くかもしれません。
『人生を導く五つの目的』(全米3000万部のベストセラー)
の冒頭にはこう書いてあります。
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■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
人生の目的というテーマは、
何千年にもわたって人々の悩みの種となってきました。
その理由は多くの場合、私たちが誤った出発点、
すなわち「自分」から出発してしまうことによります。
私は何になりたいのか、私は何をなすべきか、私の目標は、私の願いは、
私の将来の夢は等々、質問の中心にはいつも「自分」が居座っているのです。
しかし自分を中心に考えていても人生の目的は決して見えてきません。
聖書は言っています。
「すべて息あるものを支配しておられる方、それは神である。
すべて命あるものは、神の力強い御手の中にある。」(ヨブ記12章10節)


………多くの人が自己実現のために神を利用しようとしますが、
それは自然の理に逆らうことであり、失敗に終わるのは目に見えています。
あなたは神のために造られました。その逆ではありません。
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

礼拝メッセージの視聴&要約(恵みの窓)はこちらです。
ポッドキャスト(音声ブログ)はこちらです。


子どもが親の愛や関心を得られないまま大きくなると
「自分が! 自分が!」と激しく自己主張する人になる
と聞いたことがあります。
神の子どもとして、父なる神様から愛と関心が注がれていることを体感して生きるなら、「私が、私が、がが我我我…」という状態に陥らないのかな。
ダビデのように。

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お昼はハヤシライスでした♪

                                 by小石
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by covenanty | 2007-07-17 08:42 | 教会行事・集会

ペット・ロス ①

7月13日(金)の朝日新聞に、子どものペットロスを支援している方の記事が
出ていました。
私たちの教会にも、去年の5月までうさぎがいました。
正確に言うと、教会内にある付属幼稚園のペットで、名前は「ピョン」。
園児のお友達から子うさぎをいただいたのは、約13年前のことでした。

私はうさぎを飼うのは初めてで、
第一印象は、「何て静かな動物なんだろう。ちょっと物足りない・・・。」
というのも、実家では柴犬を飼っていて、
動物とコミュニケーションできる楽しさを味わっていましたから。
でも、だんだんにピョンのくせや好みがわかるようになり、
ピョンも私たちを怪しい者ではないと認識してくれて仲良しになりました。

飼い始めて2,3年目くらいから、定期的に通っていた動物病院で
「元気なうさちゃんですねぇ」と言われ、
5,6年目頃からは「長生きですねぇ」と感心され、
10年を過ぎてからは「いやー、ギネスものですね」と励まされていました。
うさぎの1年は、人間の10年くらいに相当するそうですから、
人間にすれば130歳を越えたところで、
まさにギネスものの長生きうさぎだったのです。

そして、大雨が降っていた昨年の5月27日土曜日。
教会では、翌日のバザー準備のためにたくさんの人が集まって大忙し。
そんな中を縫って、教会で立ち上げる知的障害者グループホームの
起工式が行なわれることになっていました。
大急ぎで起工式を終えて戻ってくると、
玄関で「あのね、ビックリしないでね。」と言われました。
そして、事務室に行くと、小さな段ボール箱の中に、
花に囲まれてピョンちゃんが入れられていました。
 
 だって、今朝まであんなに元気だったのに・・・。
 具合が悪いのに気づいてあげられなかったの・・・?
 どうして私がいない時に・・・。


まだ、からだは温かく、眠っているような顔をしていたピョンちゃん。
お世話になっていた獣医さんに電話をすると、
もう、あとからあとから涙が出てきて言葉に詰まってしまい、
先生が、電話口で一生懸命に
「こんなに元気で長生きできて、しあわせでしたよ」と
慰めてくれたのでした。
その日は自宅に連れ帰り、一緒に最後の晩を過ごしました。

動物病院にはいつも私が連れて行っていたので、
診察券には私の苗字がつけられていて、
「ピョンちゃんのお母さん」と言われていました。
 #本人、結構いい気分でした(^^)

もう、一巡りの季節が過ぎたのに、
いろんな時にピョンちゃんのことを思い出します。
暑い日が続くと、「ピョンちゃんもグッタリしていたなぁ・・・」なんて。
残業の夜は、ちょっと小休止をしてピョンちゃんとリフレッシュ・タイム。
ストレス解消に一役買ってくれました。
ひそかに「セラピーうさぎ」と呼んでいたのですが。
今でも、思い出の深みにはまると、涙が出てきます。

新約聖書の中には、イエス様が親しく接していた人の死に直面して
「涙を流された。」と書かれています(ヨハネの福音書11章35節)。

イエス様も悲しい時には泣かれたんだと思うと慰められます。
何かを言われるよりも、一緒に涙してくれることで
慰められる、ってありますよね?
イエス様は、私たちが悲しい時に一緒に泣いてくださるんですね。

私も「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣く」心を宿す者で
ありたいです。
                               はな
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by covenanty | 2007-07-16 11:28 | エッセイ

苦節13年

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こちらの写真、礼拝前の賛美タイムに
礼拝堂の様子を受付ロビーから撮ったものです。

今週の聖書のお話は―

あの逃亡者ダビデが、
あのどん底にいたダビデが、
ついに―

王になりました! 

「王となったダビデ」

これが聖書メッセージのタイトルです。
タイトルを見たとき、わたしは「やった!」と心で叫びました。

辛酸をなめたダビデが王になることが、
なぜか我がことのようにうれしかったからです(^v^、、)
              ヨカッタネ、ダビデ!あなたは希望の星ょ★//

「イスラエルの次の王になる」といわれてから苦節13年
  羊飼いから王の家来(婿)に抜擢されて王宮で仕えること6年、
  嫉妬にかられた王から、これでもか、これでもかと理不尽な仕打ちにあい、
  死の危険とつねに隣りあわせだった逃亡生活7年。
一時は神様への信仰を失いかけたダビデですが、
苦難の中で人格が鍛えられ練りあげられました。

王となっても、傲慢にならなかったダビデ。
自分を虐げた人々に復讐しなかったダビデ。

ダビデは、王としてなすべきこと一つ一つについてお祈りし、
神はどういうお心なのかたずね求めました。

ダビデがイスラエルを治めるにふさわしい器だと認めた神様は、
彼の王座を堅固なものにしました。


ダビデのお話はまだまだ続きます。
実は、これからさらに波乱にとんだ人生が展開するのです。お楽しみに!

礼拝メッセージの視聴と要約(恵みの窓)はこちらです。
日曜10時半からはライブ放送をしています。
ポータブルプレーヤーなどで聞きたい方は音声ブログへ。

*****************************
 ― ダビデの賛歌 ―
 私の神、主よ。
 私があなたに叫び求めると、あなたは私を、いやされました。
 主よ。あなたは私のたましいをよみから引き上げ、
 私が穴に下っていかないように、私を生かしておかれました。
 夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。
                            詩篇30篇より

*****************************

ポッドキャスト(音声ブログ)を開設したときに、
mp3ポータブルプレーヤーを(小石は持っていないので)
人からお借りして聞いてみたのですが、
いや~これは便利ですね~(感激)
なんせ、ウォークマンにテープを入れて聞いていた20世紀の人間ですから、
感慨もひとしお。(今時こんなことを言っているのはわたしだけ??)
しかも1000円くらいのものもあるらしいです。
電気屋さんに行ってみようかな~♪
                                 by 小石

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by covenanty | 2007-07-09 23:26 | 教会行事・集会

あなたは孤独ですか。

 「〔人の子は、滅んでいる者を救うために来たのです。〕
 あなたがたはどう思いますか。もし、だれかが百匹の羊を持っていて、そのうちの一匹が迷い出たとしたら、その人は九十九匹を山に残して、迷った一匹を捜しに出かけないでしょうか。
 そして、もし、いたとなれば、まことに、あなたがたに告げます。その人は迷わなかった九十九匹の羊以上にこの一匹を喜ぶのです。
 このように、この小さい者たちのひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではありません。」        (マタイの福音書 18章11~14節)


「人の子」とは、イエスさまのことです。
 あなたは、孤独ですか。自分には何の価値もないと思いますか。自分のことを本当に理解してくれる人はどこにもいないと思っていますか。
 そういった考えに支配されている心を、イエスさまに向けてみませんか。
 かく言う私も、そうなのです。今も、そういう心から、完全に自由になれていないように思ってしまうのです。でも本当は、イエスさまがもう完全に自由にしてくださっているのです。
 イエスさまが、私を捜し出してくださったのだなあと思いつつ、これを書いていますが、いま私の内に温かい温かいものが広がっています。イエスさまを思うとき、本当に、いま生きておられる神様なのだなあ実感するのです。
 イエスさまは、いま、あなたを捜しておられるのです。     フサ

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by covenanty | 2007-07-07 06:15 | 聖書の話

私達は盗人か

地球温暖化防止に関わる動きが活発である。

石油代替燃料であるバイオエタノールを取り巻く政治的・経済的駆け引きが南米を中心に行われている。バイオエタノールはサトウキビやトウモロコシの成分を醗酵させてエチルアルコールを抽出するものだが、別にエチルアルコールを燃やしても、空気中の二酸化炭素は増えこそすれ減る訳ではない。サトウキビやトウモロコシが生きていた間は散々二酸化炭素を吸収し、酸素を放出していた訳だから、それらから作った燃料を燃やして発生した二酸化炭素はカウントしないことにしましょうという、人間が作った都合の良いルールに過ぎない。一方で将来のトウモロコシ需要を見込んで、世界中のファンドがトウモロコシの先物を買占めており、直物相場が急騰、トウモロコシを材料としている食品会社(ケロッグ社等)では早くも人員整理が始まっている他、トウモロコシ高は家畜用飼料相場にも波及、食肉価格も上昇しているという。

金満先進国がこのような食べ物をオモチャにしたマネーゲームに興じている間にも、世界中で7人に1人、8億3千万の人々が飢餓状態にある。一体我々は何をやっているのだろうか。


神様は我々人間に「産めよ。増えよ。」と命じられ(創世記)、その為に必要且つ充分な環境を人間に委ねられた。
ある調べによると、今日世界ではコメやムギ等穀類だけで、全人口60億人に毎日3,500カロリーを提供出来るだけの量が生産されている。野菜や果実、家畜肉、海産物まで加えると、1人当たり毎日1.95キログラムの食糧になるという。
神様が造られた世界が供給している食糧は正に「溢れるばかり」なのだ。しかし実際には、世界中で毎年1,200万人の子供達が餓死せざるを得ない状況に置かれている。IT経済に沸くインドでは2億人近い人が飢餓状態にある中でも、6.25億ドル分の小麦と13億ドル分のコメが日本や他国へ輸出されているという。我々人間は一体何をしているのだろうか。


日本のエネルギー自給率は精々20%だという。民間も政府も世界中から資源を買い漁っているが、その前に何故母数であるエネルギー消費量を減らそうとしないのか(雑貨やジャンクフードを煌々とした電飾看板を出して24時間売り続ける必要があるのか)。食糧自給率は30%だそうだが、その低さを問題にする前に何故食べ物の無駄を無くして分母を減らそうとしないのか。
振り返って、私達個人の生活においても、日々の生活の中で神様から与えられた祝福を本当に賢く用いられているのだろうか。それよりも前に、その豊かさを全て神様からの祝福だと認め、そのことに対し充分な感謝を捧げているだろうか。


「人は神のものを盗むことが出来ようか。ところがあなた方は私のものを盗んでいる。それは十分の一と奉納物によってである。あなた方は呪いを受けている。あなた方は私のものを盗んでいる。この民全体が盗んでいる。」(マラキ書3:8)


このような豊かな国に生活し、神様から頂いているあらゆる恵み---
それは食糧のみならず、何不自由ない生活の豊かさ、文化水準の高さ、衛生状態の良さ、安全な暮らし---に対して、私達は余りにも無頓着、無感動に過ぎるのではないか。
会社の売上伸長、利益追求の為ならその態度は善と看做され得るのか。
我々はどこまで傲慢になれるのだろうか。
        by oveja negra(オベッハ・ネグラ)

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by covenanty | 2007-07-06 12:27 | 政治・経済・社会