カテゴリ:本・映画・ドラマ( 56 )

べんけい飛脚(山本一力)

図書館で借りて、いま夢中で読み終えたところです。
早速、感想を書きたくなりました。

江戸時代、加賀藩前田家の窮地を救うために藩御用の飛脚たちが中山道を走りぬきます。彼らを束ねる飛脚問屋の頭の命を受け、それぞれ鍛え抜かれた自慢の足で、幾多の障害をも乗り越えていきます。
飛脚たちだけではありません。
街道で前田家の大名行列を迎える人々も、家臣たちもその勤めを懸命に果たします。
前田家五代目の殿様綱紀(つなのり)は、江戸でも国許でも、また参勤交代の時も、屋敷を抜け出して町民の姿に身をやつし、市中を歩き、民の姿を自ら見て歩き、政道に生かすことを常としています。若い将軍吉宗のために誠心誠意尽くします。吉宗もまた綱紀を心から尊敬し、みずからの後見人であるとまで考えます。
綱紀は、将軍吉宗を源義経に、そして自らは義経を守った武蔵坊弁慶になぞらえます。
綱紀は中山道をひたすら走り抜いて、命がけで大切な書状を届けてくれた飛脚たちに、自分を支えてくれる家臣たちに感謝を惜しみません。ひとりひとりが自分自身の源義経のために武蔵坊弁慶となって自らの命をかけて支え合っているのです。
「ひとはだれしもが、義経に仕える弁慶」
この小説の中で描かれているのは、自分に与えられた仕事を忠実に、しかも誇り持ってやり遂げる男たち女たちの姿です。
このような人々によって、この国は昔から支えられているのです。

「あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。
あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、あなたがたのしもべになりなさい。」
(マタイの福音書第20章第26~27節より)

虎猫
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by covenanty | 2015-04-19 21:26 | 本・映画・ドラマ | Comments(0)

キリスト・コミッション いつでも奇跡はそこにある
•オグ・マンディーノ著 牧野M.美枝訳

N兄、素晴らしい本をお勧めいただきありがとうございました。
夢中で読み進み、昨日遅くに読み終えました。
いま、その感動のままにお手紙をしたためています。

主人公の売れっ子推理小説作家マット(マティアス)は、イエスの復活について20年以上も調べた挙句、「イエスの復活は実はなかったのだ。」と確信するのです。ところが、そのことをうっかりテレビ番組で話した夜に、信仰厚きテキサスのおっさんにぶんなぐられ、そのまま、なんとイエスの死・復活の6年後のエルサレムにタイムスリップ。
そして、アルマタヤのヨセフ(ピラトにイエス様の遺体の引き取りを願い出て、自分の墓に埋葬した人)の案内で、イエスと共に過ごした人々にインタビューして、イエスの復活は真実だったのか、だれかが遺体を隠したのではないのか、と調べていきます。
推理小説の謎解きのような面白さは、この小説の一面にすぎません。登場するひとりひとりの何と人間臭いこと。マタイ、ペテロ、ヨハネ、マルコ、といった弟子、マグダラのマリアも、復活のラザロも、そして、大祭司カイアファ、総督ピラトも登場します。

マタイは語ります(要約して引用します)。
「私は徴税人の中でも一番地位が低い者であり、最もいやしい職業にある者とされていました。自分の金を大神殿に寄付することも許されず、律法学者たちでさえ『徴税人に悔い改めを説くなど、まったくの時間の無駄』と断じていたのです。」
「私は神の帳簿から徴税人であるという自分の罪を消したい、という希望をすべて捨て去っていました。」
「でもここに、私にもまだチャンスがあり、他のすべての悲惨な罪人たちにもチャンスがある、と説く人物が現れたのです。・・・『神の王国』は手の届くところにあり、私たちのすべてがその日のために準備することができると言った。私たちのすべてが!」
「行けるときは、いつでも(イエス様の)話を聞きに行きました。・・二言三言の言葉をかけてくださるなら、と願って。しかし、いつも羞恥心で私は思いとどまっていました。」
「ある朝、イエスは説教の後、私の収税所の近くを通りました。手を伸ばせばその衣に触れられるほどでした。でも私は言葉が詰まって出なかった。そして彼は去っていき、私は無念のあまりすすり泣きはじめた。
すると、彼は急に立ち止まり、振り返って私を真正面から見ました。その時の彼の愛と同情と悲しみの表情を決して忘れません。
イエスは私に手招きして、ただこう言いました。『私についてきなさい』」

その後のことは聖書の通りです。マタイはすべてを捨ててイエスに従います。
もちろん、この本に語られているのはフィクションです。でも、実際にこうであったなら「なるほど、だからマタイはすべてを捨ててイエスに従ったのか。そうかもしれない。それなら腑に落ちる、理解できる。」と思わされます。

このように聖書に語られたことの一つ一つが、当の人物からリアルに生き生きと語られ、私たちが幾度も読んでいるはずなのに腑に落ちなかったことが、一つ一つ解き明かされていくのです。
イエスがゲッセマネで逮捕されたとき、弟子たちは師を見捨てて逃げ去り、そのまま隠れてしまいます。ペテロとヨハネだけが師の後を追っていきます。そしてペテロは、師の言葉通り三度にわたり師を否認し、師の言葉通り朝の一番鳥の声を聞き、絶望のまま去っていきます・・。

主人公マティアスは「誰かがイエスの遺体を隠したのではないか。」とひとりひとりインタビューしては、彼にはそんなことはできなかった、と容疑者リストから一人一人消していきます。そしてついにたどり着いた真実とは・・・。
おそらく、復活の最大の証拠は、あの臆病者だった弟子たちが、復活を力強く大胆に語りだしたことにあるのでしょう。土屋順一先生が以前にメッセージで語られていたことを思い出し、この本を読んであらためてそう確信することができました。

復活に関しては、以前に読んだリー・ストロベルさんの著作もジャーナリストらしい切り口で調査を進めていくもので、思わず熱くなったのを思い出しました。
虎猫ブログでも紹介させていただきました。
キリストの復活は事実か?
ナザレのイエスは神の子か?「キリスト」を調べたジャーナリストの記録

これらを読んでいくと、本当に前後左右から様々なライトが当てられて、真実に肉薄していく思いがいたします。
もしお読みでなければこれらもぜひご一読をお勧めいたします。

取り急ぎお礼まで。

虎猫
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by covenanty | 2014-07-04 23:57 | 本・映画・ドラマ | Comments(1)

「八重の桜」にハマっています。6月に入院してからです。
もともとテレビはあまり見ませんでした。「NHK大河ドラマ」というのは、体質的にあわないのか、ほとんど見ていませんでした。
6月初めに入院すると、暇なものですから、テレビをつけて、なんとなく「八重の桜」を見て、それ以来、一度も欠かさず見続けています。毎回涙を流し、笑いを誘われます。
会津戦争の圧倒的なシーンの数々、その後、はたして物語がどう展開するかと思っていたのですが、ますます面白くなってきました。
ただ面白いとか笑いと涙というだけではなく、人として、クリスチャンとしての生き様を、あるときはさりげなく、あるときは厳しく問われている思いがします。

インターネットでは、「八重の桜」関連のサイトがたくさん掲載されています。
虎猫が見て面白い、参考になると思ったものをいくつかお示しします。皆様も、参考になる資料などがあればぜひご教示ください。

NHK大河ドラマ「八重の桜」 - NHKオンライン
NHKの公式ホームページです。盛りだくさんで楽しめます。

【写真で比較】大河ドラマ『八重の桜』のキャストを実物と較べてみた
実物と役者さんの比較写真。なかなかの見ものです。
皆さんは、どの役者さんが一番のはまり役とお考えでしょうか。
あるいは「これは外れ?」というご意見もあるでしょうか。

実話「新島八重の桜」のあらすじとネタバレ - あらすじと犯人のネタバレ –
ドラマと実話の違いを語る。これも参考になります。
お茶の間、職場、女子会、男子会(?)の話題にも、うってつけです。

過去の大河とは一味違う野心作
「八重の桜」が、なぜ従来の「大河ドラマ」と違うのか、よくわかりました。制作統括の内藤愼介氏は、「今回の大河は過去の作品とちょっと違います。過去の大河では、歴史を切り拓いた人を描いてきましたが、今回は動乱期に生を受けた人たちが、どう生きたのかを描きます。」
「英雄の生涯」ではなく、その中で普通の人々がどう生きたのか、いわば群像劇とでもいうのでしょうか。だから、八重だけでなく、沢山の人々が次々登場して、歴史の一面一面が織りなして示されるのです。
いつもの大河ドラマと違うから、虎猫もはまったのかもしれません。

八重の桜 - みんなの感想 - Yahoo!テレビ.Gガイド [テレビ番組表]
 実に7000件を超える感想が寄せられています。読みごたえのあるもの、なるほどと思うもの、など盛りだくさん。読んでいて飽きません。

例えば、次のような感想について、皆さんはどうお考えでしょうか。
投稿者:fuk*****さん投稿日時:2013/9/17 17:58
(この中では一部要約して引用しています。全文は、上をクリックするとお読みいただけます)

投稿された方は「尚之助と襄の2人のレディファーストは別ものではないでしょうか。」と問いかけておられます。そして、次のように比較されています。

【尚之助の場合】
「息苦しい封建社会の中で、自分の腕の中では八重を自由にさせてあげようという“思いやり”。」
「いつも八重を見て、最大限、八重の才能を尊重した。」
「そんな風に普段は自由に前を歩かせても、最後は自分が盾になり八重を守る。そこだけは譲らなかった、せつないほどのがんこさ。会津武士でした。」

【襄の場合】
「西洋スタイル、キリスト教を日本に浸透させる為に自分たちが広告塔になる為のもの。
だから、襄のレディファーストは人に見せつけるような部分があります。」
「それもまた元安中藩士・新島襄の戦い。それに寄り沿い闘う八重は、実はやはり夫に従う会津の女。
襄の理想を理解し柔軟に対応できる最高のパートナーなのでしょう。」

虎猫
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by covenanty | 2013-09-28 18:12 | 本・映画・ドラマ | Comments(0)

今週のNHK大河ドラマ「八重の桜」(第37回・過激な転校生)の中で、
新島襄が、熊本洋学校出身の学生(熊本バンド)たちに

「私が目指す学校は学問を教えるだけではなく、心を育てる学校です。」

「自分自身を愛するように、汝の隣人を愛せよ。
型通りでなくてもいい、歩みが遅くてもいい。
気骨ある者も大いに結構。良いものは良い。
しかし、己のために他者を排除する者は、私は断固として許さない。」

「いかなる生徒も決してやめさせません。」

「どうか互いをさばくことなく、共に学んでいきましょう。」

と言うシーンがありました。

「聖書を読んだサムライたち」という本に、
新島襄がアメリカの知人に書いた英文の手紙の和訳がのっています。

「もし、理智を持っているだけで、道徳的原理を欠くなら、
隣人および社会に対して善をなすよりも害を与える方が多いであろう。
研いだ理智は鋭い小刀のようなものである。
それは、同胞を破滅させるばかりでなく、自分自身をも滅ぼすかも知れない。」


新島襄は智に偏った教育の弊害に、いち早く気付いていたようです。

「律法の全体は、『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という
一語をもって全うされるのです。」
(ガラテヤ人への手紙5章14節)


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by covenanty | 2013-09-19 19:52 | 本・映画・ドラマ | Comments(1)

T兄
いつも図書係のご奉仕ありがとうございます。
阿倍野 美玖でございます。

先日は私のアイルランド出張に当たり、機中で読むにふさわしい本についてお伺いしたところ、早速にリー・ストロベル著ナザレのイエスは神の子か? 『キリスト』を調べたジャーナリストの記録をご推薦いただきありがとうございました。
アイルランドに向かう機中では、さすがに3日にわたる国際会議の準備に追われ、読むことはできませんでした。
どうにか会議を終え、帰りの機中では疲労困憊しておりました。でも、この本をふと手に取ってみると、あまりの面白さに、夢中で読み終えました。
いま、機中でこのお手紙を書いております。

副題が「『キリスト』を調べたジャーナリストの記録」とあります。
このアメリカの敏腕ジャーナリストの調査記録には、知的な興奮を呼び起こされました。
無神論者であったストロベルさんがついにクリスチャンになるまでの、2年間にわたる調査やインタビューなどが克明かつ実に分かり易く書かれています。

まず本書第1部「記録を調べる」
たとえば、当時の福音書の記録の目撃証言が信頼できるかどうかを、現代の刑事事件の目撃証言の真偽判定の方法論等とも比較しつつ、哲学、神学、考古学の専門家へのインタビューで裏を取っていきます(第2部、第3部では心理学や医学の専門家も登場します)。
他の歴史的な事件と比べて圧倒的な量の写本などの存在(新約聖書のギリシャ語写本は5千冊を数える。その次に写本が多いのはホメロス「イリアッド(イリアス)」で600冊、タキトゥス『年代記』に至っては分冊のうちの一部しか残っていない)。新約聖書については、実際の事件からほとんどほとんど日数もたたないホットなうちに伝えられていったことなども立証されていきます。
目撃証言は、初めは口頭で伝承(口承)されていったものが後日に文字で記録されたものです。では当初の口承は「伝言ゲーム」のように信憑性に乏しいと疑いたくなります。
ところが、当時の口承はAさんがBさんに伝え、さらにCさんに伝えると、今度はCさんがAさんに対して自分に伝えられた内容を大声で話して、正確に伝わっているかどうかの確認を求めるのです。CさんはAさんの確認が得られてはじめて、次のDさんに伝えることが許されるのです(本書70頁より要約)。

T兄、申し訳ありません。
ここまで申し上げたのは、本書第1部「記録を調べる」の中で印象に残った中のごく一部にすぎません。ついつい夢中になってしまいました。こんな調子でお手紙を書いていたら、東京まで一睡もできそうにありません。
あと、2,3のことだけ書かせていただきます。

ルイス・ラピディス牧師は、ユダヤ人ですが、イエス様を信じ牧師となった方です。
この方の信仰の軌跡は、この本の中でも特に感動的なものでした。
このように語られています(本書308頁)。
「ですから、イエスを疑う人にこう言いたいのですよ。
私の言葉を信じなくてよい。その代り、ラビの言葉も鵜呑みにしないで、自分自身で調べてほしいと。今日の社会では、『それを調べるための情報がない』と答える人はいませんから。少し周りを見渡せば、参考になる本はごまんとあります。」

知的な誠実さと勤勉さがいかに大切なものか、あらためて考えさせられました。

ついにストロベルさんは洗礼を受けます。その時のことを次のように書いておられます(本書443頁)
「稲妻が光らなければ、天から声が聞こえたわけでもなかった。しびれるような感じも、ゾクゾクするような感じもなかった。こんなときに感情のほとばしりを感じる人もいるのだろうが、私が感じたのは理性のほとばしりだった。しかしそれは感情と同じように、私のすべてを興奮させていた。」
こうしてストロベルさんは、変えられていきます。周りの人にこそ、この様は明らかになるのです。本書444頁、ストロベルさんの5歳のお嬢さんの言葉です。
「ママ、神様がパパにしたことをアイリーンにもしてほしいよ!」

もう一言、是非申し上げたいのは、訳者峯岸麻子(みねぎしまこ)様の洗練された訳文です。上述の箇所からもお分かり頂けると思います。
とても平易です。中学生でも少し読書好きな子なら十分読みこなせるでしょう。そのうえユーモアのセンスも湛えつつ、深い意味が心にも頭にも響いてきます。翻訳書で日本語をこれだけ堪能できたのは久しぶりです。

アイルランドから東京への機中、この本を読んで私も変えられました。
東京に戻ったら感動をT兄と分かち合い、兄弟姉妹にお勧めしようと考えております。
そしてなによりも、キリスト教への、イエス様への懐疑の気持ちを持っている方々にこそ、一読をお勧めして参りたいと存じます。

気候不順な折、皆々様にはなにとぞご自愛くださいますよう。
取り急ぎお礼かたがた一筆差し上げました。

「わが子よ、聞き従って知恵を得よ。あなたの心が道をまっすぐに進むようにせよ」
(箴言第23章第19節 新共同訳)

虎猫
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by covenanty | 2013-07-10 11:47 | 本・映画・ドラマ | Comments(0)

守部善雅著サムライウーマン 新島八重 (聖書を読んだサムライたち)」

NHK大河ドラマ「八重の桜」もいよいよ熱くなってきました。
そんなあなたは、この本を読んでますます熱くなってください。

会津藩の成り立ちから、戊辰戦争の敗北までの歴史的な経緯など、背景も丁寧に説明されています。
その中に生きた八重が、新島襄と結ばれ、クリスチャンとして同志社で人材育成に努め、夫との死後、さらに生きる姿が簡潔に分かり易く書かれています。虎猫も一気に読み終えました。
新島襄「八重さん!」
八重「ジョー!」
当時としてはとてもぶっ飛んだ夫婦の会話に、新島襄を尊敬する弟子徳富蘇峰は「なんという女だ!」と慨嘆し、「頭と足は西洋、胴体は日本という鵺(ぬえ)のような女性がいる」とののしります(後に和解します)。
全体を読む時間がないという方は、八重の葬儀のときの山室軍平(救世軍日本軍国司令官)の弔辞をぜひご一読ください。本書の最後に掲載されています。きっと、その前から読み直そうという気持ちに駆られると思います。

八重の生涯についてはたくさんの本がでています。漫画もあります。ネットで検索してびっくりしました。

また会津の歴史や当時の女性の生き方に、ご興味のある方には次の本をお勧めします。
葉室凛「冬姫 
 会津藩の基礎を築いたのはクリスチャン大名の蒲生氏郷です。
 その妻冬姫は織田信長の娘です。勇気と知恵と誠実さで戦国の世を生きていきます。
津村節子「流星雨
 会津が落城し藩士や家族は北の地斗南に転封されます。
 実在の会津藩士の娘をモデルに,「女たちの会津戦争」を描いています。

虎猫
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by covenanty | 2013-06-12 13:19 | 本・映画・ドラマ | Comments(0)

虎猫「Tさん。今年から図書係になられたそうですね。」
T「そのとおりです。図書係になった以上、自分も教会の図書を読まなければいけないと思って、一番薄くて読みやすそうな本を借りてみました。リー・ストロベル著キリストの復活は事実か?』という本です。」

虎猫「題名からすると、なんだか神学的な難しそうな本みたいですが・・」
T「いやとんでもない。これは図書係として『イチ押し!』『いいね!』と言いたくなる本ですよ。」
虎猫「どんな本ですか」
T「ジャーナリストのストロベルさんは無神論者で、キリスト教など怪しげなカルトだと思っておられました。ところが、なんと奥さんがクリスチャンになってしまいます。
愛妻を『カルト』から救うためには、キリスト教の信仰の根源『イエス・キリストの復活」は嘘っぱちと証明するのが一番だ!
そう考えて、医学博士、哲学博士などにインタビューし『イエスは死んだふりをしていただけではないか』『イエスの遺体は本当に墓から消えたのか』『復活したイエスを目撃した人はいるのか』といった疑問を次々に投げかけます。
これらの疑問はものの見事に論破され、ついにストロベルさんは自らクリスチャンになるのです。」

虎猫「なんだか、とても刺激的な感じがしますね。」
T「信仰の原点を探るというのみでなく、各種の学問の方法論が縦横に駆使されて、知的な興奮を呼び起こします
当時の十字架刑の凄惨な執行方法を見れば、医学的に『死んだふり』などありえません。執行に失敗したら、処刑を担当した兵士自身が死刑にされてしまうので、失敗など許されないのです。
また『空の墓』についての福音書相互の記述に相違があることから『空の墓』は事実でないと疑う人もいますが、細部の相違は、記述した人の書き振りの相違にすぎません。例えば『まだ暗いうちに』と『明るくなってから』に本質的な相違はないでしょう
空の墓の目撃者が女性であることも、驚くべきことです。当時の女性の地位は低く、公の場でも証言はまったく取り上げられなかったのです。目撃者が女性であったことは、むしろ空の墓が作り話でなく真実であることを強く示すものなのです。このような考え方は歴史学的なアプローチの仕方なのだそうです。
そのほかの福音書の細部の相違も、例えば裁判で複数の目撃者の証言が細部まで同一だったほうがかえって『口裏をあわせた』と疑うのが自然でしょう。法学的なアプローチからも、空の墓の真実が補強されると言えそうです。」

虎猫「うーむ。これはなかなか面白そうですね。では最後のテーマ『復活したイエスを目撃した人はいるのか。』はどうなるのでしょうか。」
T「復活のイエスの目撃証言は、福音書、使徒の働き、コリント人への第1の手紙など各所に記載されています。」
虎猫「これが伝説であったり、集団幻覚であったといった可能性はないのですか。」
T「本書では伝説や幻覚ではありえないことも簡潔に説明されています。伝説については歴史学的アプローチで論破され、幻覚については心理学的アプローチで論破されています。例えば、幻覚は個人的主観的事象であり、複数の人間が同じ幻覚を見ることはできないのです。また、幻覚を見るには期待や予感があるのが大前提ですが、十字架刑の後、恐れ、疑い、絶望にあった弟子たちには、そんな期待も予感もなかったのですよ。」

虎猫「すごいな。私も読みたくなりました。」
T「ストロベルさんは、このほか、ジャーナリストとしての知見を縦横に駆使した書物を幾冊もあらわしておられます。虎猫さん、手分けして読破してみませんか。」
虎猫「・・・そのうち折を見て」
T「時は今、ぐずぐずしない!」

リー・ストロベルさんの本
(いずれも「いのちのことば」社刊行。同社オンライン通信販売サイト「ゴスペルショップ」のサイトをご紹介します)

ナザレのイエスは神の子か? 「キリスト」を調べたジャーナリストの記録

それでも神は実在するのか? 「信仰」を調べたジャーナリストの記録

宇宙は神が造ったのか? 聖書の「科学」を調べたジャーナリストの記録

虎猫
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by covenanty | 2013-05-31 22:34 | 本・映画・ドラマ | Comments(1)

東日本大震災と自衛隊

杉山隆男著兵士は起つ―自衛隊史上最大の作戦

東日本大震災に直面した自衛隊員の行動を追ったノンフィクションです。
読み進むのがとてもつらい箇所もあります。それでも広く読まれるべき本です。
ここでは、心に残ったいくつかの場面を要約しながらご紹介します(本書では実名の箇所と匿名の箇所があります。ここでは匿名で統一しています)

K三曹は過酷な目にあった住民からやり場のない怒りが自分たちに向けられるのを覚悟していました。
「にもかかわらず、(被災者の)口から出てきた言葉は・・自分たちを背負って泥の海の中を渡ってくれた隊員への感謝であり、ねぎらいだった。
『ありがとう』『ご苦労さん』『すまないね』
ご苦労なのはおばあさんたちなのに、とK三曹は思いながらも、そうした感謝のひと言をもらっただけで、再び冷たいぬかるみの中に入っていく気力がどこからか湧きあがった・・。」(本書128~129頁より)

遺体収容に当たった若い隊員の思い。
「電柱に宙吊りになった遺体を目にして以来、十九歳のS士長はほぼ毎日のように遺体と向き合い、収容を続けていた。新しい遺体と接するたび、重くのしかかるものは変わることはなかったが、S士長の中では新しい思いが生まれていた。
それは、自分たちが行っているのは、遺体の収容ではなく・・・『この方を、ご家族にお返しする』ことだ、という思いだった。『お返しする』ことが、帰りを待っている『家族の方にとっては一番いいことかなと思って、そう思えばより丁寧に運び出して返してあげるのが大事だな。』と考えるようになったのである。」(本書143~144頁)

H隊長は自衛隊の核・化学兵器の専門部隊を率いています。
深夜です。隊員に仮眠を取らせ、3時間後に、放水車を原発に向けて出動させます。
全員を連れて行くわけにはいきません。隊員の人選に手間取っているわけにはいきません。
「暗がりに目が慣れてくると、H隊長には、うっすら闇を通して、床に横になっているはずの隊員たちが上体を起こし、自分の方に視線を送っている様子がおぼろげながらわかってきた。
無言である。黒い影となった隊員たちは闇の中からただ黙ってみつめてくるだけである。しかし、その眼差しは言葉以上の強さで、
『自分が行きます。』『自分を選んでください。』
と訴えている。だが全員を連れて行くわけにはいかないのだ。H隊長は連れて行く者と残していく者を選ばざるを得なかった。」(本書208~209頁)

M一尉はいつ自分が死んでもよいように三か月に一度奥さんにあてた遺書を書きます。
「自分がいなくなったあとの覚悟を迫るのは妻に対してだけではなかった。小学校にも上がっていない、まだ五つの長女を前にM一尉はこう言う。
『おとうさんはいつかいなくなるかもしれないから。』
父親の突然の宣言に、娘は『帰ってこないのはいやだ』と泣きじゃくる。
だが、M一尉は、ごめん、ごめん、とあやしたりはしない。
『おとうさんが死んで帰ってこなくても、おかあさんをちゃんと助けて生きていくんだよ』
最初のうちは泣きじゃくるばかりだった娘も、最近ではM一尉の言うことがおぼろげながら理解できるようになってきたのか、泣きはらした顔に、何か思い定めたような表情があらわれるようになったという。」(本書242~243頁)

私たちは何をすべきでしょうか。
私たちにできることは、このような勇士たちと勇士を支えるご家族を心にとどめ、感謝を忘れないことです。

虎猫
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by covenanty | 2013-04-16 20:26 | 本・映画・ドラマ | Comments(0)

あれから2年がたちます。
ちょっと体調を崩して10日間ほど入院しました。
病院でいつか菜の花畑でというマンガを読みました。3.11の後の人々を描いた漫画です。
病棟の図書コーナーに置いてあったので、なんとなく手に取って読み始め、あふれる涙に耐えられずにいったん書棚に戻しました。
また忘れがたくもう一度手にとりましたが、やはり読み続けられなくなりました。
三度目、覚悟を決めて最後まで読み通そうと決意し、ようやく読み通すことができました。

孫を守って亡くなったおばあさん。
お母さんと喧嘩して飛び出した女の子は、それがお母さんとの別れとなる。
ひとりのおじさんは「がれきの山」を「菜の花畑」にしようと、ただ一人でがれきの片づけを始めます。やがて賛同する人々が増え、最後にはボランティアさんが集まってがれきの片づけを終えます。その1年後に菜の花畑が生まれます。
とても重い菜の花です。重いけれども、美しく輝く菜の花です。

その作者「みすこそ」さんのHPをご紹介します。
みすこそ
この中段に3.11の「がれきの山」を「菜の花畑」にしようと志す人々のスライドマンガがあります。
サンプルマンガや英訳版も掲載されています。
【日本語版書籍情報】
アマゾンページ
サンプルマンガ2つ
祈り―おばあちゃんの願い
(サンプルマンガの下にある「りかこさん」(アメリカ在住の方)のコメントでは英訳版を掲載されています。パソコンでお読みになる場合はPDFバージョンをクリックしてください)
喪失―母子家庭の中学生


【ご参考】
私どものブログ「重荷をおろして」では東日本大震災の記事をこれまで幾本か取り上げています。
1年前の次の取りまとめも参考までにご紹介します。
私たちは忘れない

虎猫

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by covenanty | 2013-03-10 17:09 | 本・映画・ドラマ | Comments(0)

ガリラヤのイエシュー日本語訳新約聖書四福音書(山浦玄嗣訳)
(イー・ピックス出版 2520円)

福音書を何と!・・各地の方言で翻訳、本文中に詳しい解説も書き込まれて同時に読める、画期的な聖書です。
イエス様はガリラヤの弟子たちにケセン語(気仙地方の方言)で、元気いっぱいに呼びかけます。(以下、引用個所は強調文字。章・節の番号は新改訳の該当箇所を示します)
「やい、お前達、俺について来オや!そうしたら、お前達ば人を漁(すなど)る浜人(はまど)にしてけんべア。」
その後がまた分かり易いのです。
「それを聞くや、この二人は(大喜びに喜び勇み)、すぐさま網を打ち棄てて、イエシュー様について来た。」(マタイ第4章第19節)

各地を回るうちに各地の言葉で話す人々と巡り合います。仙台弁、津軽弁、名古屋弁、長崎弁・・・
ローマの百人隊長(足軽百人組の組頭!)などローマ人は薩摩弁です。
「もし、旦那さア。我が家の下男が中気に罹つ(罹り)、家で臥せっちょい申してなア、酷く苦しんぢょい申す。」(マタイ第8章第6節)
しかも、その前後には「ユダヤ人にとり、ローマ兵は憎っくき敵・・」という講談調の分かり易い解説が示されて、状況がありありとわかるのです。
いくら丁寧な注でも、細かな文字で下の方に記されていては誰も読みません。本書では、本文と解説が一体でわかりやすく一気に読めるのです。

そして、都エルサレムの人々は都ということで京言葉で話すのです。
イエス様のエルサレム入城のために弟子たちが驢馬の子を引こうとしたときに、びっくりしたエルサレム近郊の村人の言葉
「あんなあ、その子驢馬[の綱]解いて、どないすんのやね。」
(マルコ第11章第5節)

各地の人々と話すときのイエス様は標準語ですが、ガリラヤのお弟子様との会話はやはりケセン語です。

イエス様のお姿はあくまでも明るく元気いっぱいです。豊穣な日本語の世界、新しい聖書の世界がまばゆいばかりに輝きます。

それからイエシューさまはペトロに言いなさる。
「さア、俺に付いで来オ!」

(ヨハネ第21章第19節)

虎猫
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by covenanty | 2013-01-09 20:40 | 本・映画・ドラマ | Comments(0)