カテゴリ:賛美( 24 )

イエス様の十字架の受難を題材にした曲です。
聖イグナチオ教会のホイヴェルス神父の作詞、山本直忠先生(髭の指揮者山本直純先生のお父様)の作曲です。1950年に初演されましたが、1965年に山本直忠先生が亡くなった後は、演奏されることもなく、ようやく1994年に上野奏楽堂で直純先生の指揮で演奏されました。「エンゲルコール」(カベナントコワイヤ指導者の四家先生の賛美グループ)を軸に、いくつかの合唱団、オーケストラも加わった大規模なものでした(当時のビデオをコピーしたDVDが残っています)。その後は演奏の機会がありませんでした。
「エンゲルコール」のオルガ二スト湯浅照子先生は直忠先生の御嬢様、直純先生の妹様です。お父様が渾身の力を振り絞って作曲された「受難」を埋もれさせたくないと、再演を願って祈り様々な準備をされました。
昨年ようやく小諸キリスト教会で一部を抜粋して演奏することができました。(ブログ「小諸にわらじをぬぐ者は ふたたび小諸に来たる」参照)
その後、山形の大江町キリスト教会からお話があり、今年6月5日にまとまった形で奉仕する機会に恵まれました。
原曲ではイエス様の独唱が重要な部分を占めますが、技術的にはとても難しいものです。玉上がナレーションで演じました。大役です。

いよいよ本番の礼拝が迫ります。
どうしても心が落ち着かず、祈り続けました。
突然、御声が聞こえました。
「お前ひとりの力で出来ると思っているのか。」
目が覚めました。
自分ひとりの力で出来るのではない、自分ひとりのために演奏するのでもない。
平静な気持ちで、心を込めて奉げることができました。

今、あの大江町で加わっていただいたソプラノやチェロの響きなどを思い出し、心が打ち震えるような感じがいたします。
そして、私たち小さな群れが、また、この小さな者が心を込めて捧げたあの受難(パッション)が、その場に集った皆様の心に響き、忘れがたいひとときとなったことを、今は確信しています。

いま、この演奏に至るまでの経緯を少し振り返ります。
原曲のイエス様のセリフは文語です。湯浅先生から、若い人にもわかるように口語訳にしてほしい、と依頼を受けました。軽く引き受けたものの、どうすればよいか迷っているうちに、どんどん日が経っていきます。
祈るうちにインスピレーションがわきました。まずイエス様になりきって自分の言葉で書いてみよう、それから細かく調整すればよい。
祈りつつ、ほとんど1日半ほどで草稿を作りました。それから手元の聖書10種類以上を参照しながら推敲しました。区民センターに幾日か通い詰め、完全防音のピアノ室・オルガン室を借りて思い切り声をだし、練り上げました。さらに日が迫ると、カベナント教会の礼拝堂が無人の時を見計らって、会堂での響きを確認しました。最後には大阪から見えたT姉がピアノ伴奏を務めていただき、細かく練り上げたのです。
【文語・口語の一例】
(原曲の文語)
「我まことに汝に告ぐ。汝、こよい鶏の再び啼く前に、必ずみたび我を否まん」
(口語訳)
「ペテロよ、はっきりと言っておく。お前は、あす朝の鶏が啼く前に、三度私のことを知らないと言うだろう。」

でも私のこんな苦労は何の自慢にもなりません。
山本直忠先生は、暑い夏、冷房もない時代、朝4時に起きて、ピアノの上に五線譜と聖書を置き、祈りながら作曲されたのです。
DVDの山本直忠先生の言葉を思い出しました。「私は祈りながらこの曲を作った。不思議な力に支えられひと月でスケッチを完成することができた。そして今もなお祈り続けている。」

『我らなくして神は成さず、神なくして我らは成せず。』(聖アウグスティヌス)

虎猫
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by covenanty | 2016-08-18 20:00 | 賛美 | Comments(0)

3月20日棕櫚の聖日にささげた賛美です。
もともとは、2010年10月、故土屋順一先生の研修休暇明けのメッセージをうかがっているときに、インスピレーションがわいたものです。
はじめは詩として作り、その年の音楽祭に賛美できるように歌詞にアレンジしました。いつか棕櫚の聖日で賛美することができれば祈り続け、ようやく実現することができました。
故土屋順一先生にお奉げします。

3月20日棕櫚の聖日特別賛美
「やがて来る方に」
詞・独唱 虎猫
曲 グリーグ「ペールギュント」の「ソルベークの歌」
アカペラ(無伴奏)で

その人はやせたロバに乗り、やってきた。
私たちは棕櫚(しゅろ)の葉を振って出迎えた。
ホサナ イスラエルの王よ 救い主

総督ピラトは問うてきた。お前たちは何を望むか。
十字架だ、十字架につけろと、声あげた。

その人は木の枝(え)に釘打たれ、つるされた。
私たちはあざけり罵った。
お前が神の子というなら、降りてみろ、その木から

そのとき世界は闇となり
神殿の幕は裂けとんだ。

その人は墓に姿なく、消えていた。
番兵たちは目をそらし、こう言った。
盗まれた、あいつの弟子たちに。

いま私たちは知っている。
その人は 再び来られたと。
すべてを語られ天に昇り、
またいつか来られることを。


改めてこの詞を読み返し、若干の解説を加えます。
1から3節までは、情景と群衆の声で成り立っています。
群衆は私たち自身の姿です。群衆の声は私たち自身の声です。
イエス様を迎えて歓呼の声をあげますが、2節では罵りの声に、3節では嘲りの声にと変わっていきます。
嘲りが最高潮に達したときに、神殿の幕が裂け落ちます。
至聖所(聖なる神の臨在の場)にキリストの贖いを信ずる人がすべて近づけるようになります。旧約の予言がここに成就します。

当日の賛美ではこのあと少し間をあけました。
イエス様の受難から3日後の復活までの時の経過を示すためです。
その時、会堂の中が静まり返っていました。

イエス様の復活は、番兵達のささやき声で示されます。
祭司たちに言いくるめられ、おどおどしながら嘘をつく姿です。

そして最後の節は私たちの信仰の確信です。復活と再臨の確信です。

私が挨拶して降壇した時に躊躇いがちに拍手が起こり、すぐやみました。
拍手をもって迎えられる曲ではありません。静かに頭を垂れてかみしめていただくことが、この小さな者の願いであり、この者が用いられたことの何よりの証です。

なお、この詞ではイエス様の声は一切でてきません。
群衆の声に押しつぶされ、ほふり場に引かれていく羊のように口を開かないお姿です
イエス様を砕いて痛めることが主の御心でした。虐げとさばきによって取り去られることが主の御心だったのです(イザヤ書第53章7節、8節、10節)。

もとの詩はこちら
2010年10月音楽祭で捧げた時のブログ「用いられる喜び」もご参照ください。

虎猫
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by covenanty | 2016-04-03 13:58 | 賛美 | Comments(0)

4年前小諸聖書教会にお邪魔したときに頂いた、ミニチュアのわらじです。
再び小諸に来ることを望み、コンパクトカメラのケースにしまって持ち歩いていました。そして願いはかなえられました。
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朝の礼拝で「聖なるかな万軍の主」を奉げました。
イザヤ書第6章からとられた曲です。

清水修子先生のお説教「霊的に新しく生まれる。」
ヨハネの福音書第3章です。霊的に新しく生まれ変わること、永遠の命、神は、実に、そのひとり語を愛されたほどに世を愛された、というあの核心へとつながっていきます。
お説教の中で特に印象深かったのは、「神は人に世を支配することを命じられたが、この『支配』とは、命令することではなく、お世話をすることだ。」とおっしゃったことです。
「あなたは猫を支配して思い通りに動かすことができますか?」
もちろんできません。人間は、猫一匹をも、自分の思い通り動かすことはできません。
神は人に絶対専制君主になることを命じられたのではないのです。
猫ちゃんが居心地良く過ごせるようにお世話することです。
ちょうど、神様が私たちにしてくださっているように。

そして教会の皆様が作り持ち寄っていただいた山のようなご馳走で、交わりのひとときを持ちました。写真は、そのごく一部です。
自然豊かな小諸の地の恵みを、参加された人の方々の真心を、心ゆくまで味わいました。
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午後からはチャペルコンサートです。

Ⅰ.「感謝の賛歌」(詩編100編)
東京カベナント教会の辻本文子姉が教会宣教50周年で奉げられた曲です。
力強い響きが会堂いっぱいにあふれました。

Ⅱ.水野源蔵の詩による歌
「まばたきの詩人」水野源蔵先生は、全身マヒにかかりました。まばたきで文字板を指して美しい詩をいくつも紡ぎだされました。武義和先生が曲をつけました。
イエス様復活の朝を歌う「こんな美しい朝に」 動物も人もふさわしく「生きる」
そして、「ただキリストの贖いゆえです」

ヨハネ福音書11章にもとづく清水先生の短いメッセージ
「わたしはよみがえりです。命です。」

Ⅲ.「受難(パッション)」
今日のメインです。聖イグナチオ教会のホイヴェルス神父が詞を作られ、山本直忠先生(髭の指揮者山本直純先生のお父様)が作曲されました。
1994年に上野の奏楽堂で演奏されて以来です。20年ぶりの再演となります。
すべてを演奏すると2時間かかります。その中から数曲を抜粋しての演奏です。
エンゲルコールの奏楽者湯浅照子先生(オルガ二ストとして各地で活躍されている)は直忠先生の御嬢様、直純先生の妹様です。お父様が渾身の力を振り絞って作曲された「受難」の再演を願って様々準備をされ、ようやく小諸の地にて再演されることとなったものです。

まず、湯浅照子先生が曲を紹介されました。お父様が「ピアノの上に五線譜と聖書を置き、祈りながら作曲された」と言うお話は、演奏する者にとって身の引き締まる思いでした。
DVDの山本直忠先生の言葉を思い出しました。「私は祈りながらこの曲を作った。不思議な力に支えられひと月でスケッチを完成することができた。そして今もなお祈り続けている。」
オルガンが響きピアノが縁取る前奏から曲は始まります。
イエス様をののしる群衆の姿、「われ決して汝を否まじ」と必死に言うペテロに「鶏が再び鳴く前に、汝は三度我を否まん」と厳しく言うイエス様、ゲッセマネの園で血の涙を流して祈るイエス様、そしてついに捕えられ、こぶしと唾のあざけりに打たれる姿・・・
十字架にこそすべての救いがあります。「われを愛さば後に来たれ」とのたまうイエス様のあとを慕って私たちは進みます。

最後はシェリーの「光り輝く朝が来る」
暗い罪の夜は明け、救いの恵みのもと、光り輝く朝が来ます。救われた者は、地の果て世の果てまでも、たたえ歌を歌い続けます。

こうして小諸のコンサートの幕を閉じました。

虎猫
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by covenanty | 2015-07-05 20:24 | 賛美 | Comments(0)

34回目の賛美の奇跡?

虎猫「聖歌隊のTさん、7月22日の音楽祭お疲れ様でした。
   カベナント教会の音楽祭も今回で実に34回目。 
   毎年のこととはいえ、今年もとても恵まれましたね。」
T  「ありがとうございます。各グループの賛美がみな思い出深いものになりました。
   私は、今年の音楽祭には、昨年までとの大きな違い、成長を感じました。」
虎猫「それはなんでしょうか?」
T  「出演者は賛美を心から喜び、聞いている人々も心から楽しんでいたことです。
   これまでは、ともすると緊張感、固さを感ずることもありました。
   今回は、ステージと客席が一体となって、忘れられないひとときを共に創る。
   そんな思いがひしひしと感じられたのです。」
虎猫「ひとつには、皆さんが随分熱心に練習されていた成果ではありませんか。」
T  「それは確かにありますね。
   私も各グループが練習されているのを、幾度となく見ていました。
   喜びをもって自分たちの音楽を作り上げていく姿は、素晴らしいものでした。
   すべて練習で結実し、本番はあるべき姿でそこにあった、そんな感じでした。
   人の努力の成果というよりも、人智を超えた主の導きというしかありません。」
虎猫「でも、本番はみなさん本当にノリノリで、あっという間に時間が過ぎました。」
T  「運営の仕方も変えられたのです。
   昨年は2時間以上の長丁場になってしまいました。
   その反省から、今年は教会の各グループの賛美だけに絞ったのです。
   その分、一人一人ご自分の唯一の出番に集中した、ともいえるでしょう。
   気心が知れたグループメンバーの賛美で、気持ちも楽だったかもしれません。
   教会員だけでなく、礼拝に出席されている同年代の仲間も一緒に加わりました。
   これも大きな恵みだったでしょう。
   この教会に来れば、仲間がいる、共に礼拝をささげ、賛美も共にできる。
   ぜひもっと多くの方とこの喜びを分かち合いたいと思います。」
虎猫「これからの抱負や計画などありますか。」
T  「今回は、グループの賛美に絞り込まれました。
   この教会には気の合った仲間やご夫婦で練習されている方もいらっしゃいます。
   ソロを歌いたい方もいらっしゃるでしょう。
   音楽祭とは異なるメンバーでの賛美の機会ができないものでしょうか。
   先週の若い方々の賛美集会のように、別の形で賛美集会を企画する。
   あるいは礼拝やコーヒー&バイブルタイムでの特別賛美などもあるでしょう。
   様々な形で、一層賛美に恵まれる教会にできないものでしょうか。
   さあ、虎猫さんも早速練習ですよ!」
虎猫「ちょっと待ってくださいよ。昨年も同じことを言われたような・・・」
T  「いまさら後に引けますか。前進あるのみ!」

詩と賛美と霊の歌をもって、互いに語り、主に向かって、心から歌い、また賛美しなさい。
(エペソ人への手紙第5章第19節)

虎猫
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by COVENANTY | 2012-07-28 10:11 | 賛美 | Comments(2)

音楽の中には幾度も演奏されて世に広く知られ親しまれていく曲と、本当に志のある方が懸命に企画し努力して、一生に一度の演奏の機会が辛うじて与えられる、それだけの覚悟と献身を求められる曲があります。
今日の曲は間違いなく後者です。
そして、その場に居合わせた人々がその時の情景と感動を語り継ぎ、その場に居合わせることができなかった人々が地団太踏んで悔しがり、ひとつの伝説となっていくのです。

この曲は、昨年に演奏される予定でした。あの震災の影響で延期になり、奇しくも、震災の約1年後、棕櫚の聖日の前日、イースターの一週間前に演奏されることになったのです。

3月31日土曜日17時半開演(開場ではありません。開場は16時50分)
場所:新宿文化センター大ホール
演奏:ハインリッヒ・シュッツ合唱団ほか

170分かかるという大曲です。覚悟を決めて、しっかり体調を整えて聴きに行きました。

それでも指揮者の淡野弓子先生の解説によると・・
「1曲1曲のテーマが鮮明で・・音画手法や象徴表現が多用され、1語1語の表現が誤解の余地のないものとなっており、音楽を聴けば内容は必ずわかる・・ひと言でいえば非常に分かり易い音楽ですので、退屈するひまはありません。」

全体は3部構成14曲。
聖書のいわばハイライトとなる14の場面を取り出して深く掘り下げて構築した、という具合になっています。

第1部はクリスマスから3博士まで
第2部はその後のイエスのご生涯。山上の垂訓からエルサレム入城まで
第3部は受難と復活です。

指揮の淡野弓子先生登場。会場は一斉に拍手。
ところが先生は急に引っ込んでしまわれました。
何とメガネを忘れて取りに戻られたのでした。
会場大爆笑。ところが、そんなホンワカムードのままにいきなり指揮棒が下されました。
そして、そんなホンワカにふさわしい曲だったのです。
「おい、熊さん。」
「なんだよ、八さん。」
「平和だね。星がきれいだね。」というような感じでまずはオーケストラだけで静かな田舎の風景が延々と繰り広げられていくのです。
そして、第1部最後の聖三賢人のマーチとなると、会場はやんやの大喝采。
「宗教音楽」と肩ひじ張っていたのが拍子抜け・・・

ところが第2部になると、一気に緊張感が高まります。
バスのソロが主導する山上の垂訓、教会の礎(ペテロ)、ガリラヤ湖の大嵐、そしてエルサレム入場と、イエス様のご生涯のあの場面この場面が次々と現れてきます。
何も知らずに聴いた方でも凄さが伝わってくるでしょう。聖書を少しでも読んだ方なら圧倒されるでしょう。
たちまち1時間が過ぎていくのです。

第3部
受難の時。
ゲッセマネで血の汗が流されます。
そしてあの長い長い「悲しみの聖母は佇みて(スターバト・マーテル・ドロローザ)」。
いつまでもいつまでも続きます。その長いときが必要なのです。終わり近くなって、ようやくその長いときの意味が分かってきます。
と、女声合唱とハルモニューム(小型のオルガン)だけで奏でられる復活祭の讃歌。
この画面転換のあざやかさ、静かに確信をもって語られる復活の真実。ごく短く、それで十分なのです。
そしてついに復活。喜びの爆発。

2000年前のあのこと、今日に至り、未来に語り告げられるべきことを、この一晩の演奏が示したのです。

私が生演奏でこの曲をもう一度聴く機会はおそらくないでしょう。
心に刻まれた貴重な思い出をつたない文章に綴り、あの時の感動を思い出す手掛かりとするしかありません。

ムシカ・ポエティカ(ハインリッヒ・シュッツ合唱団のサイト

虎猫


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by covenanty | 2012-04-10 20:24 | 賛美 | Comments(0)

長野の賛美

聖歌隊のTさんが、四家ひとみ先生の賛美グループ「エンゲルコール」の一員として9月と10月に長野県の3つの教会に賛美の奉仕に行ってこられました。写真を添えての報告です。

1.9月11日午前 茅野(ちの)キリスト教会
快晴の空、賛美が始まりました。
窓は開けたままの開放的な雰囲気、賛美の熱気をさわやかな風がぬぐってくれます。
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2.同日午後 蓼科(たてしな)キリスト教会
午後からは車で30分の蓼科キリスト教会に移動。
木立の中に隠れるように建つ心休まる場所です。
木造の教会の中でアットホームな雰囲気の賛美でした。
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3.10月9日快晴 小諸(こもろ)聖書教会
とても暖かい日です。数日前までの寒さが嘘のようでした。
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浅間山をバックにメンバーの一部と。午後の本番前のひと時でした。
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by covenanty | 2011-11-08 21:49 | 賛美 | Comments(0)

(虎猫)聖歌隊のTさん。10月23日の第33回音楽祭も恵まれましたね。
(T)お陰様で、ちょっとした手違いはありましたが、何とか切り抜けました。
(虎猫)壮年会の賛美も心がこもっていましたね。
(T)「とおきくにや」(聖歌397番)ですね。関東大震災の時に作られた曲です。つたない私たちの歌に、神様が心を通わせて下さったのでしょう。

(虎猫)あのドイツの昔の歌、女声・男声2名ずつにピアノが入り、それにリコーダー。よかったですよ。中間部のピアノのソロも素敵でした。
(T)そう言っていただけると助かります。来年もう一度チャレンジしたいですね。
参加者の姉妹からこんな感想をいただきました。「一見シンプルなようで残響の長い礼拝堂で賛美されることが前提とされていますから、音楽、賛美のうねりが重厚に重ねられ遂には天の神様の御もとに届けられる…そんな風に感じて心が躍りました。」

(虎猫)最後のコワイヤの曲も素敵でした。ジョイフルキッズの若いメンバーが加わって、清らかな歌声でしたね。特に「愛の主よ」で、「飼い主よ み腕に 抱きたまえ われらを・・」のところが、憧れと喜びに満ちていて私は大好きです。
(T)とても難しい曲ですが、なんとかなりました。若い人の素直な心がそのまま歌に現れたように思いました。

(虎猫)これからの夢とか希望とかありませんか。
(T)この教会にはいろいろな音楽のグループや、また年代別のグループがあります。いろいろなグループが時に一緒になり助け合って、一つの賛美を作り上げていく。そんなことができないかな、と思います。たとえば、次のクリスマスが一つのチャンスです。
(虎猫)なんだかおもしろそうですね。
(T)そのときは、ぜひ虎猫さんも参加してください。
(虎猫)いや私は音痴で・・
(T)「自分は音痴だ」という人に音痴はいませんよ。さあ、早速練習開始!
(虎猫)ひえ~!ちょっと待ってくださいよ!

声高らかにほめ歌を歌え。タンバリンを打ち鳴らせ。六弦の琴に合わせて、よい音の立琴をかき鳴らせ。
(詩編第81章第2節)

虎猫

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by covenanty | 2011-11-02 21:41 | 賛美 | Comments(0)

歌は聴くものではない。

青山学院大学聖歌隊定期演奏会
  10月1日(土)午後6時
  青山学院大学ガウチャー記念礼拝堂

学校や病院など教会以外の施設で宗教活動に奉仕される方をチャプレンといいます。
演奏会は、このチャプレンの先生のあいさつで始まりました。
「歌は聴くものではありません。」
冒頭から不思議な言葉で始まりました。
「歌は歌うもの、もしくは人に歌ってもらうものです。
聖歌隊の隊員たちが歌います。歌う力を持たない方々のために、悲しみに打ちひしがれて歌うことができない人々のために・・」
虎猫は昨年還暦を迎えました。
この若者たちは大学生です。私の3分の1くらいの人生しか生きていない人々です。
ガウンに身を包み、楽譜を胸に抱いて登場した若者たちの歌声には、心が宿っていました。魂がありました。
古今の宗教音楽を日本語で数曲、16世紀のシュッツから現代の作曲家の歌まで。
オルガンによるバッハの独奏。
アイルランド/スコットランドの伝統讃美歌には、ハープ伴奏の懐かしい響きが忘れられません。
そして、後半はジョン・ラッターの《レクイエム》より。
ラッターは、ウイリアム王子のロイヤルウェディングのアンセム(英国国教会の礼拝用音楽)も作曲した人で現代イギリスの教会音楽を代表する人です。
冒頭のチェロの現代的な響きに思わずひいてしまいましたが、曲が進むうちに一心に聴き入っていました。「主はわが牧者なり」は何度でも聞き直したい曲です。最後は「永遠の光」。
アンコールの後、オルガンの後奏が続く中を聖歌隊が退場していきます。
さらに後奏は続き、ようやく演奏会終了のアナウンス。聴衆は名残惜しそうに出口に向かいます。
その出口では、さっきまでステージにいた聖歌隊の学生たちが「ありがとうございました!」と声を上げて聴衆を送ってくれるのです。
私たちも、一人一人の学生たちに感謝の声をかけ頭を下げて、帰途につきました。

名簿を見ると、25人のうち14名が一年生。昨年は10名ちょっとまで人数が減っていたと聞いていました。人数は回復したとしても、半年でここまで賛美の心と技をどのようにして身に着けたのでしょうか。人のために歌うと誓った若者たちに、神は恵みを垂れたのでしょう。
中年ブロガー虎猫は「自分のためでなく、書く力を持たない人、打ちひしがれて書くことのできない人に代わって書き続けるように。」とあの若者たちに励まされているのです。

(参考)
青山学院大学聖歌隊のホームページ

虎猫

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by covenanty | 2011-10-06 21:16 | 賛美 | Comments(2)

ハインリッヒ・シュッツ(1585~1672)はドイツの作曲家です。
ちょうど大バッハ生誕100年前に生まれ、ドイツ音楽に息吹を与えた「ドイツ音楽の父」ともいわれる人です。
イタリアで学び、帰国後ルターのドイツ語訳聖書を前に「この全巻を音に」という意欲をかき立てられ、生涯をその創作に捧げました。後のとくに北ドイツのプロテスタント音楽を担った人々に受け継がれ、バッハはもとよりメンデルスゾーン、ブラームスなどに大きな影響を与えたとされます。
そのシュッツの作品の研究と演奏を中心に活動する合唱団が1968年東京に誕生し、今日まで熱心な活動を続けておられます。当教会のK姉もメンバーの一人です。

9月16日の演奏会は、シュッツの代表作「宗教合唱曲集」。
ルターのドイツ語訳聖書に基づく29曲のモテットです。
合唱団の創設者淡野弓子先生の指揮。
あの3月11日の犠牲者への哀悼の意を表した<泣き方々を偲んで>からはじまり、<平和を願って>、<救い主を待ち、降誕を祝う>、<イエスは語る>という順序に構成され、「危機を超えて」という副題が添えられました。
一つ一つの曲を解説する力は私にはありません。
あの「涙と共に種を蒔く人は喜びの歌と共に刈り入れる。」が初めのほうに現れ、最後は「神はその独り子をお与えになったほどに、世を愛された。」まで、ただその響きに圧倒されました。
私のように大学で少しドイツ語をかじっただけの人間でも、この合唱団のドイツ語は明瞭に聞き取れることが多く、日本語の対訳と見比べながら、言葉の世界を胸に刻み込むことができます。
会場の東京カテドラルは地下鉄江戸川橋の駅から歩いて15分。椿山荘の向かいに建つ壮麗な建物です。会場いっぱいを埋めた聴衆とともに、多声の旋律で裏打ちされた言葉が次々とカテドラルの中を行きかう時間と空間を共有するのです。

4月11日。震災のちょうど一か月後。そのときは弓子先生のご子息淡野太郎先生の指揮で、シュッツの「ルカ受難曲」そして生誕200周年を迎えたリストの「十字架の道行」が演奏されました。
「十字架の道行」ではイエス様が倒れる場面が3度でてきます。
イエス様が3度目に倒れる、その曲が終わったまさにその時、地震が起きました。
聴衆はどよめき、ステージの人も何人か持ち場を動こうとしました。
先生は手で制し、揺れのおさまったのを確認すると、何事もなかったかのように、次へとタクトをおろされました。

どのような天変地異もいつかは止みます。
私たちは、倒れていても立ち上がり、ふたたび歩み続けます。

ムシカ・ポエティカ ホームページ(シュッツ合唱団HP
虎猫

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by covenanty | 2011-10-01 09:07 | 賛美 | Comments(2)

この度の東日本の大震災で、多くの方々が深い傷と悲しみを負われていることに、
心からお見舞い申し上げ、お祈りし続けております。


聖歌(総合版397番)
「とおきくにや」
 (「There's a light on the cross」)
作詞・作曲 J. V. Martin


1.遠き国や 海のはて いずこに住む民も見よ
  慰め持て 変わらざる 主の十字架は輝けり

  (おりかえし)
  慰めもて汝がために 慰めもて我がために
  揺れ動く地に立ちて なお十字架は輝けり


2.水は溢れ 火は燃えて 死は手拡げ 待つ間にも
  慰めもて 変わらざる 主の十字架は輝けり


3.仰ぎ見れば など恐れん 憂いあらず 罪も消ゆ
  慰めもて 変わらざる 主の十字架は輝けり



3月20日の礼拝で聖歌「とおきくにや」を賛美し、また、詩篇46篇を一同で読み(交読)ました。
賛美の前に、牧師先生が「この歌は関東大震災の時に作られた歌です…」と紹介して下さいました。


私がそのエピソードを知ったのは、阪神大震災のあった時のことです。


当時、教会の午後の集会(毎週日曜のコーヒー&バイブルタイム)で、司会をされた婦人会のある方がこの賛美を選び、「阪神の多くの教会でこの賛美が歌われたそうです」といった内容を紹介されたのです。その時は関西の方々への祈りを込めて、一同で賛美致しました。

慰めと希望に満ちた、とても美しい歌詞とメロディーの賛美です。
それ以来、この歌は私の心に刻まれて忘れられなくなっていました。。。

この東日本大震災の後も、日本のあちこちの教会でこの賛美が心を込めて歌われていることと思います。
私達の教会でも、今日の礼拝で被災地の方々の上に、そして日本の上に神様の深い憐れみと恵みと助けがありますようにと、心から皆で賛美致しました。

神様、日本を憐れんで下さいますように…!


「旧約聖書 詩篇46篇1~3節、7節」

神はわれらの避け所、また力。
苦しむとき、そこにある助け。
それゆえ、われらは恐れない。
たとい、地は変わり山々が海のまなかに移ろうとも。
たとい、その水が立ち騒ぎ、あわだっても、
その水かさが増して山々が揺れ動いても。

万軍の主はわれらとともにおられる。
ヤコブの神はわれらのとりでである。



実はこの詩篇46篇の1節は、今教会で配信している「日めくり聖書のことば」で3月11日の早朝に届けられていました。
いつもこの配信を読んでから起きるのですが、この日は何と夜になってから開いて…、本当に本当にびっくりしました!
「わぁ、神様、ごめんなさい。ちゃんと朝に読めば良かったです。でも、ありがとうございます。」と情けない思いと感謝の思いで泣きそうになりました。

それから毎日、46篇全体を読んでいます。
強い余震が来て、ぐらぐら揺れている最中の時もこれを開きました。

「わたしがいつもあなたと共にいる。
わたしがあなたの砦となって守る。
そのことをいつも胸に覚えて、忘れないでいなさい。
―「わたしこそ神であることを知れ」―」

神様がこのように語りかけて下さっているのを感じます。。。

私はすぐに不安で一杯になって心が挫けてしまう弱い者で、
聖書に書いてあるように「恐れない」なんて、
正直に申し上げますと、とても言えないです。
それどころか、いつも「怖い。不安だ。」とばかり
言っている…。

けれども、私の弱さを遥かに超えて、力強い全能の神様の御手に
すがり続けています。



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by covenanty | 2011-03-22 13:19 | 賛美 | Comments(3)