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家庭教育と学校教育

先日フジテレビでたけしと爆笑問題の司会で「家庭教育と学校教育における責任」というテーマで討論会があった。 最後までは見なかったが、しかし何より驚きまたちょっと違うんじゃないと思ったのは、今の親の姿勢である。
子供は親の無条件の無私の愛の中で育つ。それが人間として生きるための必要十分条件であることは皆が認めることだと思う。社会生活の第一歩は家庭から始まる。 しかも母親が重要な役目を持つ。 母の愛の代わりになるものは何も無い。 母のまなざし、母の手のぬくもり、体は離れていても心は自分に向けてくれている。 それがなにより心を満たす。 愛を知らないものがどうして自分を、人を愛することを学ぶのだろう。それが今は保育時間を」延長している保育園に殺到する。夜の10時、12時まで保育をするところもあると聞く。それではいったい誰が自分の親だと子供は認識するのだろう。 
愛を見失った子供たち、親たちに全てを覆うイエスの愛を知ってほしいと思った 
    
    「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」  マタイ22:39

親たちは高学歴、物質的に恵まれている世代だろうか。
もう一つ思ったことは自分の子が何よりかわいいというが、それは結局は自分がかわいいという自己中心の姿に他ならないと思った。 自分がかわいいのだ。 だから、失敗を恐れ、忠告を恐れる。人から我が子のことを言われると、自分自身、自分そのものが全人格を否定されたように思うのだろう。 確かにそうだろう。 自分の子育てが失敗だと人から言われたら、傷つく。 たぬきも経験した。 でも開き直るわけではないが失敗しない子育てをした人っているのだろうか。 子供は自分ではない。自分の子供だけれど、自分で自分の人生を歩まなくてはならない別人格の人間だ。 親が代わりに子供の人生を歩むことはできない。 でも生きていくうえで何が大切かを教えることはできる。 何もわからない、でも正しいことはどこまでも正しい。悪いことはどこまでも悪い。親は友達ではない、親は親なのだ。子供の失敗、過ちにともに頭を下げる。友達に、友達の親に、近所の人に、先生に・・・。 親もともに恥をかく。それでいいと思う。
    
亀田興起の謝罪会見の録画を見た。
父親が落ち込んでいるので、長男である彼が会見し、その中で、「世界チャンピオンにまで育ててくれた父親を世界一のオヤジだと思う、感謝していると」いうようなことを言っていたと思う。 これを聞いて、マスコミは「まあ、悪いことをやったが、しかし今時これほどの親子の絆を持っている家族は珍しい」と評していた。
そうだろうか。
私はそうは思わない。 20歳になってこんなことを言っているのかと思ってあきれて、そして、彼が可哀想に思えてきた。 親の無知さゆえに犠牲になった子供たちである。 まず親が出てこないなんて無責任もはなはだしい。 悪いことをした。申し訳ないと親が謝罪に出るべきである。悪いことをして、レフリーの見ていないところでずるをして、そういう子育てをしました。申し訳ありませんと謝るべきなのだ。 そういう父親を世界チャンピオンにまでしてもらってありがとうという息子、そんなことして世界チャンピオンになったとして人間として何の価値があるのだろう。 親自身がきちんと悪かったと謝らない限り、この子供たちは一生善悪がわからないまま人生を送ることになるのだろう。 きちんと諭して導いてくれる人がいれば別だが・・・。

     「ですから、愚かにならないで、
      主のみこころはなんであるかを、よく悟りなさい」 エペソ5:17
  

どれほど聖書に基づいた子育てが必要かと思わされた最近の出来事である。
                                         byたぬき
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by covenanty | 2007-11-06 09:34 | 子育て・家庭