中央線の勇士たち

朝の9時。荻窪から中央線に乗りました。御茶ノ水で仕事の打合せをするためです。
電車はかなり混んでおり、私も通路近く何とか吊り革にぶら下がって立っていました。
突然、近くの若い女性がうずくまりました。そのまま立ち上がれないようでした。少しためらいましたが、女性の側にひざまずいて声をかけました。「次の駅で降りますか。」女性は首を振って「いえ、降りたら会社に遅れます。」
でも、うずくまったままです。もう一度声をかけました。「席に座りますか?」女性はうなずきました。
私は立ち上がって、周りの人に大きな声で呼びかけました。「お加減の悪い方がいらっしゃいます!どなたか席を譲ってあげていただけませんか!」
座席に座っていた数人の方が一斉に立ち上がり、席を譲ろうとします。その中の若い男性が最終的に立ち上がり、周りの人も席を替わって、入口近くの席を空けていただきました。私は女性の手を引いて、席に案内しました。1人では席まで行けないようにも思えたからです。
その後、女性の様子を時々見ていました。万一、さらに容態が悪くなることがないか、と心配したからです。隣の席の中年の女性も心配そうに声をかけていらっしゃいました。幸い、元気を取り戻されたようで、御茶ノ水で降りるときに私が会釈すると、会釈を返していただきました。

不思議だったのは、この一連の動作を、躊躇いもなく、日常の動作のようにできたことです。こんな時、後で心臓がドキドキするかと思ったのですが、それもありません。
後で考えてみました。
自分自身がここ数年で3度ほど緊急入院しました。具合が悪い時に周りの人の手助けが必要なことがあります。その経験から、具合の悪い人の気持ちを理解し、躊躇せずに必要な行動ができるように、鍛えられてきたのではないか。
そしてもうひとつ、この国では、1人が声をかければ周りの人は必ず動きます。女性の様子を見ていた人は沢山いたはずです。心配してどうしようかと思っておられたのです。誰かがひと声かけるだけで、一斉に行動できる心の準備はできているのです。私はきっかけを作っただけなのです。

私には夢があります。あの時の私の行動、周りの人々の思いやりが語り伝えられ、同じような時にためらわずに行動する勇士たちが次々と起こされることを。

受けるよりも与えるほうが幸いである (使徒行伝20章35節より)
虎猫
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Commented by クー at 2016-11-02 18:30 x
声をかけない言い訳なら、いくらでもあります。「女性特有の症状かもしれない。男のオレが声をかけたら、かえって迷惑かも。」とか、「急いでいるのに、面倒なことに巻き込まれたら、やだなあ。」とか・・
でも、それではいけないのですね。
「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」という聖書の御言葉もありますね。
Commented by covenanty at 2016-11-02 23:02
クーさん。早速のコメントありがとうございます。
声をかけない言い訳を探す暇があったら、まず声をかけるべきでしょうね。声をかけて行けない時だとわかれば「ごめんなさい。」と言えばよいのです。本当に声をかけるべき時に声をかけなかったら、大事に至りかねないのです。
虎猫
by covenanty | 2016-11-01 23:57 | エッセイ | Comments(2)